プロフィールコラム【前編】私のジュニア期と最初の壁

― 期待の中で、私は何度も立ち止まった ―

テニスを始めた頃から、私は「期待される側」にいることが多かったように思います。
それが当たり前で、疑問を持つ余裕もありませんでした。

ジュニア時代、私はとても恵まれた環境にいました。
早い段階から海外遠征に挑戦させてもらい、国際大会を経験し、「やりたい」と言えば挑戦できる環境を用意してもらっていたと思います。

そのことに感謝はありました。
同時に、その環境はいつの間にか
「ここまでやらせてもらっているんだから、結果を出さなければいけない」
という強い思いにも変わっていきました。

初めての壁(16歳)

14歳以下のカテゴリーまでは、正直テニスで大きく困った記憶があまりありません。
身体も同年代と比べて大きく、パワーもあり、「パワープレー」で相手を押し切るテニスで結果が出ていました。

ただ、それが急に通用しなくなります。

相手に1本、2本多く返される。
今まで決まっていたショットが、カウンターで返ってくる。
ポイントの取り方が、わからなくなっていました。

私は何が武器なのか。
どうやって目の前の1ポイントを取ればいいのか。
自分のプレーの引き出しの少なさを、はっきりと突きつけられました。

そこで国内に留まらず、
ITFジュニア(国際ジュニアツアー)を主戦場にする選択をします。
通用しない場所で、壁にぶつかりながら成長する道を選びました。

13歳からの2年間、
シングルスではほとんど全国で勝てなかったと思います。

それでも、県ジュニアU16の1年目にあえてU18へ出場し、全日本出場を目標に掲げ、達成。
そこから再び全国でも上位に戻り、世界ジュニアランキングも上がり、
最終的にはグランドスラムジュニアの予選を突破し、本戦でプレーすることができました。


プロ1年目の現実

プロの世界に入ったとき、
私はまだ「プロとして戦う」ということを理解しきれていませんでした。

それでも、
ジュニアで結果を出してきた選手として、
そして「ロイヤルSCテニスクラブの孫」として、
多くの期待を向けられていました。

特に、祖父が繋いでくれたスポンサー企業の方々の存在は大きく、
ジュニア時代から恵まれた環境で挑戦させてもらってきた分、
「プロになった以上、結果を出さなければいけない」
という思いを、強く自分に課していました。

そのプレッシャーは、次第に自分らしさを奪っていきました。

勝たなければいけない。
期待に応えなければいけない。
失敗してはいけない。

そう思うほど、プレーは小さくなり、
本来の思い切りや感覚は失われていきました。


スポンサー解除、そして怪我

そんな中で、私は
膝の前十字靭帯損傷という、初めての大怪我を負います。

本来であれば、立ち止まり、治療とリハビリに専念すべき状態でした。
それでも私は、無理をしてコートに立ち続けていました。

頭から離れなかったのは、
「ここで休んだら、スポンサーを切られるかもしれない」
という不安でした。

結果を出さなければ。
支えてもらっている以上、止まれない。
自分の身体よりも、期待に応えることを優先していました。

そして、想像していた通りの出来事が起こります。
スポンサー契約の終了。

悔しさよりも先に湧いてきたのは、
「申し訳ない」という気持ちでした。

「ここまでやらせてもらったのに」
「結局、何も返せなかった」

その一方で、
私は初めて自分に問いかけました。

「それでも、私はテニスを続けたいのか?」

評価も、保証もない状態で、
それでもコートに立ちたいのか。

すぐに答えは出ませんでした。
不安も、怖さもありました。

それでも最後に残ったのは、
それでもテニスが好きだという気持ちでした。

今振り返ると、
怪我も、スポンサー解除も、
当時の私にはとても苦しい出来事でした。

けれど今では、
それは私にとって必要な出来事だったと感じています。

誰かの期待のためではなく、
自分自身の意思で進むために。

…中編へ続く

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